スキーターラビット、シュガーポップ来岡2006/03/21 08:00

 イベントHomeが先日の第一回目に引き続き行われた。今回は「中四国ダンスサミット」と題して、ロッキングやポッピングなどのオールドスクールのダンサーのショーが中心のイベントである。
 特別ゲストはスキーターラビット氏とシュガーポップ氏。
 ブガルースタイルのオリジネーターでマイケルジャクソンのPVにも出演するなど、ストリートダンス界のカリスマ的存在と言っていいだろう。岡山には以前も来たことがあり、その時はワークショップを受講した。今回もワークショップがあるのだが、それは時間の関係で泣く泣く参加不可。
 この日は中国四国の10チームほどが参加しての第一部ショーケース。そして休憩をはさんで特別のゲストのお二人によるショー。お二人はフロアーでもお客さんとサークルで踊るなど、非常に親近感の持てるイベントだった。
 先日の大学生の彼女も、ストリートダンスを最初に教えてくれた友人も、普段は東京住まいだからか、「とてもアットホームなイベントで楽しかった」とのこと。
 イベントは25時半には終わり、その後はネットカフェで朝まで仮眠して彼女は帰っていった。
 そして今日はダンスアタックがある日なのである(以上2006/03/22)。

ダンスアタック西日本予選大会(大阪)2006/03/21 21:00

会場入口
 ほぼ徹夜あけでダンスアタックを大阪まで見に行った。部活からはほぼ毎回大会に出ていたのだが今回は出場せず。しかし岡山から3チームがエントリーしているので、それも見守りかたがた気軽に見に行く。
 今まではなんばのマザーホールで行われていたのだが、マザーホールがなくなってしまったので、今回はベイサイドジェニー。ところがこのベイサイドジェニーも3月一杯でなくなってしまうらしい。文化芸術の拠点がなくなるのは、経済的に見合わないからか?

 ダンスアタックといえば毎回エントリー開始日に全出場枠の100組が埋まってしまうという、とても熱い大会である。現在のスタイルは春と秋の年2回開催で、西日本大会と東日本大会での優秀な上位チームが、決勝大会で優勝を争う。今回は前日に中学生大会と高校生の1日目が行われていて、今日は高校生の2日目。
 初心者から経験者まで、ガールズからブレイクまでさまざまなスタイルの高校生が出場した。実は今回のダンスアタックは今までになく出場チームが少なかった。夏も少なかったのだが、通常春は卒業生が最後のチャンスにかけるためにチーム数が膨れ上がるのが特徴だったのだが、今回は74チーム。やはりブームで波があるということか。

 さて、岡山チームは…マーサ率いるSNIPE、岡pon率いるPOPCORN、そして岡山の各種大会の常連D-gril。3チームともそれぞれ自分達のカラーを出した良い作品を創っていた。
 タイミングが音に合ってないところがあるとか、構成が単調気味とかの改善点はあるものの、3チームとも自分達のやりたいことがはっきりしているので、煮詰めていけばまだまだよいものに進化すると思う。
 ashさん率いる北九州戸畑商業T-COMMERTIALも来ていてタイトな作品を見せてくれた。
 果たして全国枠の7チームに残ることができるかどうか…。個人的には1チームは行くのではと思っているのだが、他のチームで眼を見張るチームが結構あったのでどうなることか(結果はもう出てますが聞かずに帰ったので)。

 今回ビデオのバッテリーが切れて全部撮れませんでした。スキーターラビットと連続だったので充電しなおすことに気が回らなかった。特にブレイクの釈迦力やロッキングのフラワーダンサーズ、ヒップホップのグルービンスラッシュが撮れなかったのが残念だが、毎回毎回ダンスアタックの「全部撮り」をしてきて、そろそろ「ももいいんじゃないか」と思い始めている。
 この話いずれします(以上2006/03/22)。

ダンスとエロティシズム2006/03/21 21:00

 ダンスアタックを見ていて漠然と思っていたことが突然分かった。それは以前服装選びの話でも書いたことに繋がることである。
 ダンス部で指導していると、ガールズやレゲエなどのように、より「女らしさ」を追究したスタイルのダンスを踊りたい高校生がよくいる。彼女らのやりたいことは、ひとことで言えば「力強くてエロかわいい」ダンス。そういう作品を見たときの彼女らの感想は「いやらしくなくてかっこいい」。一方で、世間一般では「エロティクなものというのは、女が男に媚びて、自らを貶めて、男を誘惑するときに発するシグナル」といった意味合いがあるようである。この発想自体は前近代的なものであると思うのだが、しかし多数派の意見であることも事実であると思う。

したがって高校で、エロティックな表現を高校生がするのを黙認したり、ましてやその方法を教えるというのは、「教育的によろしくない」ということになるのである。本人たちはかっこいいスタイルを追及して短いスカートをはくのだが、教員はそれを長くしろと指導する。これもその流れということになる。もちろん「ルールは守るものである」という意味合いもあるのだけど。
 いずれにしても多くの高校のダンス部で、文化祭の時のステージ衣装に対する生徒と教員とのズレがあるのはこのようなところに原因がある。
 ところが、自分が自分らしくあること、自分を自分らしく表現してそれを認められることというのは、人間としての自然な欲求であるばかりか、基本的人権といってもいいはずである。
 では、「エロかわいい」表現はどうなのか。

実は部活の指導をする時に、特にそういう制限をしていない。むしろよりセクシーさを表現するにはどうすればいいかを追究している。だってそのことが自信につながるし、だいたい、そういうときの彼女らはとても生き生き踊っているから。その生き生きと踊っていることをダンスアタックのいくつかの作品を見て思い出したのである。

「今回のダンスは何を表現したいの?力強さ?かわいさ?かよわさ?セクシーさ?エロさ?たくましさ?…」。作品を創り始める時に必ずこういうことを聞く。「自分の何を見せたいの?自分をどういう人間だと見て欲しいの?」。そのような問から次第に作品イメージが出来上がっていくのであるが、このとき、では「セクシーさ」や「エロさ」を見せたいと考える時、それは具体的にはどのようなイメージなのだろうか。
 それは、女らしい体つき、しなやかな動き、胸や腰や足などのボディラインなどであって、決して男に媚びることや自らを貶めることではない。もしそれが自らを貶めることになるのであれば、自分の体はそんなにマズイものなのかと自己否定することになるのだが、そういうイメージではない。

そうではなく自己肯定である。女らしい体をしていることを肯定する、それだけのことである。「私の体つきを否定しないで、私は私よ、何が悪いの」という声が聞こえてきそうなくらいポジティブである。男子ならブレイクの力強い技を見せたり、筋肉自慢をしたりするのと同じことだと思う。だから彼女らの踊りを見ても目線や動きは全然媚びていなくて、とても堂々としている。それを見て、誘惑されたような誤解をする男性や、誘惑しようとしていると誤解して批判する女性は、悲しいかな少なくないだろう。
 でもダンスの教育には、自己肯定、自己表現、異なる自分の発見、など現代の教育現場に必要でありながら欠けがちな要素が数多くあるのだ、それをみすみす放棄することはないのである。
 で、今回ここまで話の構造が見えてきたのには、一冊の本との出会いがあったからである。それは中村うさぎの「私という病」である。数日前から読み始めてダンスアタックに移動中の電車で読み終えたので、ちょうど重なったのであった。詳しく書くと長くなるので省略するが、この中に書かれている「コスプレ効果」と同様の意味合いがダンスを踊るということにはあるのだろうと思うのである。

てわけで今回たくさん書いちゃいました。
 これからも男に媚びないセクシーなダンスを追及していきたいですが、それならそれで問題がないわけではない。それは、男性が大胆な女性のダンスを見たときに、生理的な欲情と現実の恋愛や人間関係とをいかにして区別するか、というトレーニングが必要という話であるが、その話はいずれまた(以上2006/03/22)。